大学院 フランス文学専攻
留学院生レポート

Y. M. 2011年度博士後期課程 留学先:パリ第7大学

Y. M. 2011年度博士後期課程 留学先:パリ第7大学


学習院大学仏文科の交換協定枠を利用し、2010年9月からパリ第7大学に留学しています。この文章を書いている時点で半年が過ぎたいうことになるのですが、その間にパリの複数の教授や学生から、「学習院の仏文科は優秀なところと聞いている」といった趣旨の言葉を頂戴しました。私の存在によってその評判に疑念が持たれ始めることにならぬようにと、ささやかな緊張感とともに日々を過ごしています。少なくとも、学習院の学生が以後にパリ第7大学へ留学する際にも、現地で同様の評価が保たれたまま迎え入れられることを願いつつ。

学習院の博士後期課程へ進学したのが同2010年で、パリ第7大学でも同じく博士課程(these)に登録しています。日本で修士号を取得した学生が、留学先での研究を修士課程から再開するか、あるいは博士課程から開始するかは、学生本人の意思とそれをふまえた受け入れ先の指導教授の判断に委ねられるのですが、私の場合は博士論文の準備に即座に着手したいという希望を伝え、それが叶えられることとなりました。これによって、授業を履修し単位を取得する義務は無くなるのですが、今年度は留学生活に慣れるという目的もあり、専門分野に関わる修士課程のいくつかの授業と、留学生向けの語学の授業に参加しています。

これらの授業に関しては、もしかしたら私のみならず多くの留学生が程度の差はあれ同様の困難を経験するのかもしれませんが、まず先生の発言内容が皆目聞き取れないという自らの状況を認識することから物事は始まりました。......おそらく予め想定し対処しておくべき事態ではあったのですが。パリ到着直後に開かれた留学生向けのオリエンテーションで、「授業の聞き取りに慣れるまで半年かかる」とは言われていたのですが、一コマ2時間の授業を半年もの間、理解の極めて不完全なままに耐え続けるという展望に我慢がならず、多くの留学生はこの苦行の期間を別の苦行によって短縮しにかかります。すなわち、頻繁にラジオを聞く(「分からなくても相手に聞き返せない」という点で同条件です)、内容を綿密に予習してから授業に臨む(やはり既に知っている話題では理解度が増します)、授業を録音して復習する(時には他の学生から借りたノートを併用します)、等々です。こうした対策をもってしても、私の場合は、ようやく最近聞き取りに慣れ始めたといった次第です。そのようなわけで、やはり半年はかかってしまったのでした。

授業の無い日は主に、パリ第7大学から歩いて5分ぐらいのところにあるフランス国立図書館(Bibliptheque national de la France)に通い、自分の研究を進めます。私の専門分野は20世紀後半に活躍したジョルジュ・ペレック(Georges Perec)という作家で、とりわけ彼が作品内で実践した言語遊戯を主たる研究テーマとしています。その作品例として、アルファベットのeを一度たりとも用いずに書かれたLa Disparitionという小説、これとは逆に、母音をeしか用いずに書かれたLes Revenentesという小説、5000文字の回文(「たけやぶやけた」のように、逆から読んでも同じになる文)で書かれたGrand palindromeなどの狂気じみた作品が有名です。最初に挙げたLa Disparitionのように、何らかの文字の使用を禁止して書かれた作品は「リポグラムlipogramme」と呼ばれ、少なくとも古代ギリシャの時代から存在する(その意味では伝統的な、しかしながらそれと同時に、極めて特異な)文学制約です。フランス国立図書館には、そのような過去のリポグラム作品が数多く保管されており、私にとってはまさしく宝庫のようなものです。また、使う資料によっては、パリ4区にあるアルスナル図書館(Bibliotheque de l'Arsenal)を利用します。こちらにはペレックに関する研究資料がジョルジュ・ペレック協会(Association Georges Perec)の名の下に集められていますので、私にとってやはり非常に重要な活動拠点となっています。


 こうした授業と自身の研究の合間をぬって、後は友人と遊びに出かけます。もちろん会話能力を磨くという点では、これも重要な勉強時間に他なりません。パリに住んでいる友人であれば、近くの美術館や劇場、蚤の市などにも案内してもらいます。フランス文学を専門としている友人には、定期的に自分の研究の進捗状況を聞いてもらうようにし、同時に何らかのアドバイスを授けてもらいます。また、パリ第7大学には日本語学科が設置されているので、日本(語)に興味を持った学生が多く、日本人留学生が友人を見つけるには非常に恵まれた環境だと言えます。そのようにして出会った友人とは、互いが互いの言語を教え合うという協力体制(いわゆる ≪ tandem ≫ です)を組むことができます。ただし、この体制はある程度のルールを設けないと学習上有効に機能しませんので、私の場合、そうした言語パートナーとは必ず週に一度会い、日本語の時間とフランス語の時間を完全に分け、会話の間に相手の間違いを互いにメモし、最後にそれを説明し合う、という仕組みをとっています。


 生活環境としては、Cite Universitaireという学生寮街に住んでおり、比較的少ない家賃で特に不便も無く、またパリでは最高度に治安の良い中で暮らすことができています。このCite Universitaireには、「日本館」、「ポルトガル館」、「カンボジア館」など、36ヶ国の国名を冠した学生寮が集まっており、学習院からパリ第7大学の交換留学生は何故か、「イギリス館」に住むことになります(そして何故か一度も館内でイギリス人に会ったことがありません)。イギリス館では、Cite Universitaire内の寮では珍しいことに、各部屋にトイレとシャワーと冷蔵庫が設置されています。共同の設備としては、各階にキッチン、地下にコインランドリーとピアノと卓球台があります。このイギリス人の住まわぬイギリス館にはとりわけ数多くの国からの留学生が集まっており、そして寮生同士、非常に仲が良いです。研究分野によってはフランス語以外の言語も習得する必要が出てくると思いますが、この環境はそうした学生にとって極めて有利に働くはずです。例えば私の場合、イタリア語に関する疑問が生じたら、斜め前に住む陽気なイタリア人の部屋のドアを叩きます。

 このようにしながら、私はこの交換留学による生活を享受しています。とても気に入っているので、協定期間終了後も、あと数年は留まろうと考えています。

平成23年4月