大学院 フランス文学専攻
留学院生レポート

M. O. 2012年度博士前期課程 留学先:パリ第7大学

M. O. 2012年度博士前期課程 留学先:パリ第7大学


 学習院大学フランス語圏文化学科の協定留学枠で、2012年9月からパリ第7大学へ留学しています。学習院大学とパリ第7大学との協定留学が始まってから4年、これまで留学された先輩方の多くがいまもパリで研究生活を送られているのを追いかけるようにして、パリでの生活を思い浮かべてはうかれ、はやるような畏れるような、いずれにしてもわくわくした気持ちで留学に臨みました。

 今回の留学の目標は、まず第一にフランス文学研究の本拠地であるフランスでの研究のあり方やその方法について、講義やレポート執筆を通して学ぶことにあります。ヨーロッパ諸国の文学には、古代ギリシャ・ローマから脈々と流れる文学の歴史と、文学とは何か、いかにして文学を考えるべきかという方法論とが現代にも受け継がれています。特にフランスは、文学作品のみならず、歴史や哲学、近代以降は言語学や精神分析などさまざまな学問体系を組み入れながら、文学理論の分野においてもすぐれた学者を多く輩出しています。このことは、いかにフランスという国が、文学をただのエンターテイメントとしてではなく、人間の本質と切り離せないものとして考えてきたかを示しています。わたし自身も修士論文に向けての準備を進めながら、こうした文学史や方法論、そして批判的距離のとり方を学ぶ必要があることを痛感しており、それには留学をしてフランスの研究のあり方に直接触れることが必要でした。

 パリ第7大学では修士1年に在籍しています。秋学期に履修した授業は大別して2種類、ひとつが文学理論の授業、もうひとつが留学生向けのフランス語の授業です。文学理論の授業では、担当教官がひとつのテーマ(今学期では「小説・詩について考える」、「"もの"を通して見る文学のあり方」)について、文学作品の引用や哲学や美学、文学理論といった二次資料を用いて解説をしていきます。特に「小説・詩について考える」の授業では、特定の作品について深く考察するのではなく、小説あるいは詩という表現形式そのものについて考えるいい機会となり、いくつかのヒントを得ることができました。フランス語の授業は外国人留学生向けのクラスが用意されており、自分のレベルに合った授業を受けることができる仕組みになっています。すでに習って分かったつもりになっている文法でも、文法の規則の成り立ちやその合理性について考えながら授業を受けていると、新たな発見がたくさんあります。

 しかし何年も勉強してきたとは言え、2時間におよぶフランス語の授業に耳が慣れるまでには時間がかかります。はじめのうちは単語のだけとぎれとぎれに、そのうち単文や複文を書き取ることができるようになりますが、講義全体の流れをきちんと把握するまでには、まだ時間がかかりそうです。そのため、授業中に挙げられた参考文献は再度自分で読み、たどたどしくてもメモを取って自分のためのノートを作ることを心がけています。こうした学習方法は、日本語での勉強よりも一見してはるかに効率が悪いようにも思われます。しかし、自由に使える母国語の中では気付くことのなかったことが、外国語を通じて浮き彫りとなり、普段何気なく使っている単語や表現のなかに思わぬ概念の欠落として現れ出てくることがよくあります。「言葉」である文学を研究していたつもりの身としては、これは大変心苦しい現象です。しかし、その一方で、こうした気付きによって自分の頭の中がスカスカに穴のあいたスポンジであることを知ったことで、そのスポンジが水を吸い込むようにして、文学の持つ豊かさをより一層感じ入るようになったこともまた確かです。

 さて、つづいて生活面のことについてです。寮はパリの南端にある国際大学都市という世界各国の留学生が暮らす国際寮で、日本館、メキシコ館、スイス館などの建物があるうちのイギリス館で生活をしています。治安もよく落ち着いた環境で暮らすことができるうえ、学生同士の交流の機会も持つことができ、パリで留学生活を送るにはとてもよい環境と言えます。寮内では共同キッチンが日常的な社交場となっており、お互いの料理をちらりと横目で眺めつつ、世間話をしたり、ときにおすそわけをし合ったりします。自炊も億劫になるほど切羽詰まっているようなときでも、料理上手の中国人が大きな中華鍋をふっている姿や、ガンビア人が自国から持ってきたという、とっておきのブラック・キャタピラ(!)をフライパンで炒めている姿に何度も励まされてきました。

 休日はというと、カメラを片手に散歩に出かけたり、友人とお茶をしたり、部屋でひたすら休息を取る日もありますが、パリで留学生活を始めてからというもの、演劇や朗読をひんぱんに見に行くようになりました。パリには、かの大女優サラ・ベルナールが活動拠点としていたパリ市立劇場などの由緒ある劇場をはじめ、大小合わせて数多くの劇場があり、古典演劇から即興劇までさまざまなジャンルの舞台が毎夜繰り広げられています。キオスクで売られている「パリ・スコープ」やFnacのチケットカウンター、そして劇場のホームページを随時チェックして、気になる演目があれば予約をします。学生割引を使えば手軽に入手できるチケットが多いのも学生の特権です。現在、わたしが研究している20世紀の作家、マルグリット・デュラスは自身が監督を務める映画のキャストを声で決めたこともあると言うほど、声というものに非常に意識的な作家でした。しかし、声そのものや声を通して発せられる言葉へのこだわりというものは、文字で読んだだけではなかなか理解しにくいのです。今日の舞台から直接その答えが返ってくるわけではありませんが、研究のヒントを得ることもしばしばあります。それに何よりも、表現する人間の身体の凄み、発せられる言葉の妙味を間近で感じることができる格好のチャンスとして欠かせない楽しみとなっています。

 留学生活を始めて4か月、残りの約半年の月日もスポンジのごとくたっぷりと水を含ませながら、次なるステップである修士論文の準備に取り組んでいこうと考えています。すでによきスポンジである方も石頭でお悩みの方も、いちど留学を通してさまざまな刺激のシャワーを浴びてみてはいかがでしょうか。

2013年1月7日